ホジュンは実在の人物?おくさんや子孫、死因などは・・・?
ホジュン~伝説の心医の韓国ドラマを今見ています。
山陰から内医院で医官になるところまでみました。
ドラマでみるホジュンは庶子として生まれて、主人の奥さんや、子供から
いじめられたりして、結局は父親とは離れて住むことになります。
そこで師匠となる医者に出会い、医術を教えてもらうんですよね。
医術だけではなく医者とはどうあるべきなのかということまで師匠から
教えてもらいます。
そして科挙を受けて医官として内医院で働くことになります。
ホジュンはドラマでは光海君の父親になる第14代国王の宣祖が王の頃の
ドラマになっていて、光海君の天然痘の治療もして重病だった光海君の
命も助けたりします。
ホジュンのことをとりあげた韓国ドラマはホジュン~伝説の心医
以外にも何度かドラマを制作されていますね。
ドラマに出てくるホジュンは実在の人物と言われていますが、
ホジュンについて少し調べてみました。
ホジュンは実在の人物、歴史上の人物なのか?
ホジュンという人は1539年から1615年までいた李氏朝鮮時代の医者だそうです。
出生地については定かにされてはいないのですが、父はホ・ロンで武官でした。
ホジュンは庶子として生まれたとされています。
ホジュンが歴史の記録に登場するのが1569年で、王が重要していた儒者の
顔にできたはれものの治療をしたという記録があるらしいです。
内医院に入ったのが1574年になっていることから、儒者の腫れものを治した
というのは内医院に入る前の出来事のようですね。
内医院に入り、王室で病気の治療を行います。壬辰倭乱日本でいう文禄の役では、
当時王だった宣祖が義州に逃げた形になっていますが、その時には王の主治医として
一緒に追従したそうです。
朝鮮王朝実録にはホジュンの記述がたくさんあるそうです。
ホジュンのドラマにもでてくる御医のヤンイェスも記録には出てくるのですが、
ホジュンの方が圧倒的に多くでてくるそうです。
ホジュンは王の信頼を得ていたということなのでしょうか。
重病な王子の命を救ったので、正三品の位になり、1592年には従一品になります。
この時代の朝鮮の医学や医術は明から教わったものが多かったのですが、
朝鮮国内が不安定な時期でもあり、明からの薬なども手に入れるのが難しく
なっていたころで、朝鮮独自の医療が必要となってきたこともあり、
宣祖に命じられて朝鮮独自の医学書の編纂をすることになります。
東医宝鑑はヤンイェスなど数人の医官が編纂をしていましたが、
壬辰倭乱などがあり一時中断をしていました。
その後、王が逝去したので、ホジュンは責任を問われて流罪になります。
流罪地では東医宝鑑の編纂をしたそうです。
流刑されてから翌年には光海君に呼ばれ復職をして、
1610年には、朝鮮第一の医書と言われる『東医宝鑑』を完成させました。
5年後の1615年に77歳でこの世を去ります。
ホジュンのおくさんや子孫は?ホジュンの死因は?
ホジュン~伝説の心医のドラマではイ・ダヒと結婚をしますが、
実際の家系図にはホジュンの妻の名はキムとなっているそうです。
ホジュンには子孫である一人息子のホギョムがいたとされています。
そしてホジュンの子孫たちは官職を歴任しているといわれています。
1991年にホジュンの墓が発見されたそうです。
場所は韓国と北朝鮮の非武装中立地帯だそうです。
実在のホジュンの死因については色々と調べてみましたがわかりませんでした。
77歳で亡くなったということなので、当時にしてみたら長生きな方なのかも
しれませんね。
韓国にはホジュン博物館というところがあるそうです。
ホジュンの生い立ちや東洋医学の発展などがよくわかる展示になっているようです。
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