トンイ 淑嬪崔氏スクピンチェシの子供は何人いたの?

韓国時代劇ドラマ
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トンイ 淑嬪崔氏スクピンチェシの子供は何人いたの?

トンイは李氏朝鮮時代の話で、第19代国王粛宗スクチョンの側室となって、
しかものちの名君といわれる英祖王の産みの母になった、
淑嬪崔氏スクピンチェシを、モデルとしたストーリーです。

韓国の時代劇の名匠ともいわれていて、チャングムの誓いなども手掛けた、
イビョンフン監督のドラマですね。

このトンイのドラマでは、トンイが王様の子供を産むのですが、
ドラマの中ではトンイの子供は確か、2人出産していたと思います。

はじめに生まれた子供は王子でしたが、
赤ちゃんの頃に、はしかにかかるんですよね。

そして、高熱がでてしまいます。

トンイはひよどりの花が効くのではないか。
と医官に言いますが、民間療法であるといわれてしまいます。

ですが、このままではどうしようもないと、
トンイは自らヒヨドリの花を探し回ります。

やっとの思いでみつけますが、時すでに遅しでした。
赤ん坊はなくなってしまうんですよね。。。

亡くなった我が子を抱き、泣き続けたトンイでした。

トンイの赤ちゃんはヨンスという名前でしたね。

トンイの産んだ王子ヨンスが亡くなる前に、トンイの身にも色々ありまして。

剣契(コムゲ)の首長の娘であったこと。

罪人である今の剣契の首長のケドラが幼馴染だということもあり、
逃がそうとしていたこと。

こういう真実が明らかになってしまうのです。

それで、トンイは身分はそのままで宮廷から出されて、
王様とは二度と会わないと約束をしました。

そして、あばら家のようなみずぼらしい家で過ごすことになるトンイです。

ですがある時、トンイは妊娠しているとこをしります。
そして元気な男の子を産むのでした。

内密に王様の方に報告がいき、粛宗(スクチョン)は、
王子の名前をクムと名付けるのです。

そしてクムが生まれてから6年以上の月日がたち、
クムとトンイは王宮に戻ってくることになります。

のちに大きくなって、クムは21代国王の英祖になるのです。

 

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トンイ淑嬪崔氏スクピンチェシの子供は3人いたそうです。

トンイのドラマの中では、たしかトンイが産んだ王子は、
赤ちゃんの時にはしかにかかって亡くなったヨンスと、
王宮を出てから授かったクム。

この二人だけだったと思います。

歴史の史実の上にはどうだったのでしょうか??

1693年に長男を産みます。名前は永壽。わずか2か月で亡くなります。

1694年に次男、のちの英祖を産みます

1698年に三男を産みますが、3日で亡くなります。

実は3人の子供を粛宗王との間に産んでいたのですね。
ですが、クム以外は、早くに亡くなっていました。

 

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トンイのモデルとなった淑嬪崔氏(スクピンチェシ)ってどんな人?

トンイのドラマではものすごく頭がよくて、利発で、素敵な女性像。
そんな感じのスクピンチェシですが、実際にはどんな人だったのでしょう?

トンイでは、コムゲという秘密組織の長の娘でしたが、
実際には崔孝元という武臣の娘で、入宮したのは7歳の時
とあります。

雑仕事をする下女であったという説と、針房の女官であったという説とあります。

粛宗からの寵愛を受け、承恩尚宮になりました。

トンイではチャンヒビンが仁顕王后を呪ったとされていますね。
それでチャンヒビンは毒薬を賜り亡くなるのですが。

ですが、歴史的にはもしかしたらトンイのモデルとなった淑嬪崔氏が、
張禧嬪を陥れるためにしかけたのではないのか?

などという見方をされている方もいます。

それは、自分の息子を後の王様にしたいがため??

本当はチャンヒビンよりトンイの方が悪女だったのでは?
なんていう説もありますね。

 

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まとめ

トンイを見ていると李氏朝鮮の歴史がおもしろくなってきます。
すべてが史実ではないので、何が本当のことで、何が事実ではないのか。

そういうことも知りたくなってきますね。

あのトンイが本当は悪女だった!という考えも面白いです。

そういうドラマも少し見てみたい気がしますね。

 

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