宮廷女官チャングムの誓いはスラッカンの女官から、
その後に無実の罪を着せられて済州島に渡り、そこで医術を身に着けて
宮廷の医女として国王の主治医にもなる女性の物語のドラマです。
11代の中宗の時代のこのドラマですが、50話を超える長編のドラマでありながら、
見ていても全然飽きずにドラマに引き込まれていく韓国の時代劇でした。
このドラマの主人公になっているチャングムですが、
史実にもあった医女のひとがモデルになっている。
おそらく女官であったとかそういう部分はフィクションなのでしょうね。
チャングムは実在の人物であったのか?
多分韓国ドラマで最初から最後までちゃんとしっかり面白かったのはチャングムの誓いだけだろうな…これはほんと、子供ながらテレビに釘付けになって見てたもん。非の打ち所がない、完璧に面白い。多分このドラマはね、日本の良質な大河ドラマでも簡単に比較出来ないぐらい面白いし良く出来てる。 pic.twitter.com/OIiBzzDOsc
— 進撃のKingJames👑🦶🏿 (@daguba1989) October 25, 2021
朝鮮王朝実録の、中宗実録には王の主治医となる医女で大長今(テジャングム)
と言われた人がいたという記述はあるそうです。ただ史実によるとチャングムに関して書かれてあるのは10か所ほどしかないようで、
この人に関する容姿であるとかどのような人物であったとかそういうことは
書かれていなかったようです。
そういうこともあり、ドラマの中ではさほど史実に忠実でなくてもよく、
チャングムという女性を思いっきり膨らまして表現させることができたのでしょうね。
ドラマの前半部分はスラッカンで宮廷の料理を作る女官であったり、
その前の宮廷に入る前には燕山君に対するクーデターのちょっとした
役目を担っていたりとフィクション部分が多いだけドラマもおもしろく
なっていき、人気も出たのかなと思います。
ドラマの中ではすぐれた医女であったチャングムでしたが、史実の中では
失敗をしたこともあったと記されているそうです。
中宗の正室の産後の状態が悪くなり亡くなってしまったということです。
章敬王后が子供(のちの仁宗)を生んだ後に亡くなりました。
その頃は王族である人が亡くなったら、小さい失敗であったとしても
重い罰を課せられていた。
王妃の治療をした医女、医員にも刑罰を与えられるだったところを
中宗が元子を産ませたチャングムに対して褒美を与えなければならないのに、
罪を課せることはできないと反対したとか。
チャングムは中宗に寵愛されていたのですね。
その後は、大妃に痛風の症状が出て、大妃の病状がよくなった時に、
医女のチャングムとシンビに褒美を与えたという記録があるそうです。
シンビはチャングムの誓いで医女でチャングムの親友としてでてきてましたよね。
シンビという人も実在の人物だったんですね。
朝鮮王朝の時代劇によくでてくる医女とは?
「朝鮮王朝オッテヨ」https://t.co/JH4B1y7G9oで「#チャングム が象徴する医女の制度はどのように誕生したのか」を掲載しています。日本に韓国時代劇が定着するきっかけになった作品といえば、それはやはり『宮廷女官 チャングムの誓い』である。このドラマの中でチャングムは医女になっていた。 pic.twitter.com/WNuVkFXvZc
— 朝鮮王朝オッテヨ (@otteyo7) July 29, 2020
朝鮮の時代劇ドラマをみていると医女たちがよくでてきます。
チャングムもそうですが、馬医でもでてきます。
医官の下で働く女性たちなのだろうと思っていました。
王宮では、男性が医官としていました。王宮ではたくさんの女性がいましたが、
夫以外の男性に身体をみせるとかそういうことは恥ずかしく侮辱行為
だったっために、女の人が病気になった時に、男性の医官に診てもらうということを
しない女の人がたくさんいました。
それを解決するために太宗3代目の王が身分の高い女性は医女になりたがらなかったので、
奴婢から医女を選ぶことにしたそうです。
なので医女の扱いであったり、身分であったりは低かったみたいです。
暴君で有名な燕山君はお酒の席で医女に酌をさせることもあった。
チャングムでも医女の研修の時に、酌をしなかったチャングムたちが
落第させられそうになっていましたよね。
これらを見てた中宗は医女の扱いを低くしたり、みたりすることを禁止しようとしました。
そういえば、医女の出てくる色んな時代劇ドラマを見ていましたが、
女官たちの方が上のような感じがしていてなんでだろうと思ってたんですね。
医術を身に着けるのは大変なのに女官の足をもんだりとか、
なにかと呼びつけられたりとかしてましたね。
当時は女官の方が上みたいな感じだったというのは元々医女が奴婢から選ばれた
という経緯があったのですね。
中宗の頑張りがあったからか、チャングムというすぐれた医女の功績などが
あったからなのか、馬医の時代である18代王の頃には、
医女を蔑んでみるということは大分なくなってきていたのかもしれませんね。
コメント